最近目に付く、2種類の人間。
許容する人、拒絶する人。
他人に対しては、可能な限り許容して欲しい、自分との違い、存在を。
これができないと、辛い。衝突を生み、争いを生み、絶望を呼ぶ。
自分に対しては、バランスよく拒絶して欲しい。できない自分、現実の自分を。
これができないと、成長がない、変化が遅く、後悔を招く。
後者のバランスの悪い人が増えた。自分を許容しすぎる、そして周りに自分の
許容を強要してくる。
個性という言葉を盾にした、許容の強要は、責任を伴わない自由のように扱われ
品位の低下を招いていると感じる。
逆に古き日本の、他の拒絶も根強く。陰気な村意識にも辟易する。
さて、私はどうしたいかというと。
甘えた、眼で許容を強要してくる者に「君のような甘ったれとしゃべりたくない」と言い。
すっきりと笑顔で拒絶したい。
そして、憶測と独断で拒絶する村人には「君のように矮小で、陰気な人がまだいたとは」
と言い。罵倒する言葉など持たない村人を、蔑んだ目で虐げたい。
後者の方が、罪が重いというか、迷惑な存在に感じているので、厳しく対応していきたい。
これらの、解決には、心のオープンスペースを広げて、他人との共有スペースを大きめに
持つ努力をすることが第一歩だ。
陸地を超え、人種を超え、言葉を超え、心の共有スペースを増やしていくことが
これからの世界の為に、必要だと思う。
だから、私は、最終的には、拒絶して、虐げた後、相手の高ぶった感情と話したい。
対外向けに構築された人格なんかと話しても、何も面白くない。
真実としゃべろう。
それが、きっと、楽しい。